自ら考え、自ら行動する。
僕の過去になります。
「僕は、親の敷いたレールを歩いていた」
親が求めている事をし、親に気を使い、親が喜ぶ事をし。ある意味自分の主体性と言ったものがない10代を過ごした。
高校を卒業し、関西のとある大学に入学した僕は、人生の迷路へと迷い込むのであった。
高校では、言われた宿題、課題をこなすだけでテストをパスできた。しかし大学ではそうした事はなく、ある意味本当の自主性が求められた。
自分の興味のある分野を更に深く追求する大学の勉強法は、今まで他人に与えられた課題をしていた僕にとってとても悩まされた。
学習をするモチベーションがないのだ。
今まで、与えられた問題を解決するだけで、ただ惰性で生きてきたせいで、とてもこの事には悩まされた。こう考える人は少なくないはずだ。
その頃僕は、勉強する気などさらさらなくて、ただひたすら学校をさぼりまくった。
そうした結果、卒業も1年遅れ卒業したのであった。
この事から何が言えるのか、と言うと。
自分の人生。自分の考えで行動しようよ
と言うことです。
でもね、親の敷いたレールを歩んできた人は、なかなか難しいんですよね、これが。
親、社会、上司、パートナー、友達。
ありとあらゆる人が私たちの個性をつぶしにかかります。
そんな時に今まで自分の考えで行動しなかった人は、潰れやすい、人生に絶望してしまうでしょう。
しかし!考えてください、、
そんな人生楽しくなくないですか???
人に生かされて生きる人生なんてまっぴらごめんじゃないですか??
ある日僕は決意しました。
自分で自分の責任を負う覚悟を。
そうする事で本当の自分を取り戻すことができました。
まだまだ自分自身を律せない事は、あります。
でも徐々にですが、自分の人生における責任を全うしよう。そうして徐々に考えるようになりました。
本当に自己責任という考え方は、急に明日やれ!!!って言われたら出来るものでもないんですけどね。
ほんとに徐々に、力をつけなければ出来る事ではないのです。
でも、とりあえず日々意識して出来ることがあります。
それは言葉を意識する
ということです。
あなたは日々こんな言葉つかってませんか?
◯私はできない
◯〜でさえあったら
◯〜しなければならない
◯頭にくる!!
こうした言葉は、責任感がなく自分の反応は選べない人の言葉です。
そうではなくて
私はできない→別の案を考えよう
〜でさえあったら→私は〜しよう
〜しなければならない→私は〜の方がよい
頭にくる!→私は気持ちを抑える
こうした言葉に言い換えてみましょう!
自分がそうした言葉を使える事でより、自分の人生に責任を持てるようになります。
責任持つのがしんどいって?
たまには休んでゆっくりしましょう笑
そしてちょっとずつでも成長できれば、もっともっと人生が楽しくなるはずなんです!
ほとんど人生に光が見えなかった僕が言うのだから間違いないです☺️笑