第二領域に生きる為には
人間の時間は限られています。
そしてその時間をどのように使うかは個人の選択に委ねられています。
寝るのか、働くのか、ご飯食べるのか、勉強するのか、テレビを見てだらだら過ごすのか。
人間はありとあらゆる選択を毎日迫られてるわけですね。
さぁ、あなたはどうのような時間の過ごし方をしますか?!
そう問われた時、そりゃ勉強したり、資格取ったりして有意義な時間過ごした方がいいに決まってる。
そう頭ではわかっているのですが、なかなか勉強したりできないですよね😩
なぜ、人は自分が頭で描いた通りに自分の時間を選択できないのか、7つの習慣ではこう説いています。
①人生のゴールを想像をできていないから
②そしてそのゴールを見据えた領域に生きていないか。
です。
①から見ていきましょう。
これは、終わりを思い描く事から始めます。
終わりってなんやねんと言うと、それはすなわち、"死"です。
人が死ぬ間際にどのような人間であったか、どのように称えられたいか。どんな人たちに囲まれて最後を遂げたいか。そうしたものを想像する事が終わりを思い描く事です。
そして、その想像を言葉に残す事で日々忘れずに自分の終わりを思い描きながら行動に移す事ができます。
例えば僕の場合。
仕事において自分の最後を思い描き書いた言葉。つまりミッションステートメントは
私は、関わる全ての人々に公平に最大限の奉仕しと工夫を凝らし慈しみの心を持ち、満足させる。それにより感謝される事を享受し、日々喜びを得る事が出来る。その為に全身全霊をかけて、人と相対する事を決心する。そしてまた会いたくなる人となる。
です。これをいつも心に置き、仕事に取り組んでいます。
そして、その効果は?と言うと以前よりお客様に対し工夫し、楽しませ、心を満たすよう行動でき、満足してもらえてると実感しています。
こうした、ミッションステートメントを作成する事で自分が送る時間をより有意義にできるよう、なると言うわけですね。
②の部分は、タイムマネジメント論になります。
あなたの過ごす時間を以下の4つに分けてみましょう。
①緊急で重要な事
②緊急ではないが、重要な事
③緊急ではあるが、重要ではない事
④緊急でも、重要でもない事
僕の場合、図にするとこんな感じです。
この場合、自分の最後を思い描き、その自分に近づくためには②の部分、第二領域に集中して過ごす必要があります。
この第二領域に集中し、生きる事がより、自分の人生を豊かにする部分になってくるのです。
さぁ、ではこの第二領域に集中する為にはどうすればいいのか。
僕の答えはマインドフルネスでした。
第二領域に集中する為には、自分の反応を選び、能動的に生きる必要があります。
その為には瞑想によりメンタルのトレーニングをする必要があったわけです。
何も僕の場合マインドフルネスが反応を選べるトレーニングであっただけで、他の人だとそうではない場合もあります。
しかしマインドフルネスは、汎用性のあるトレーニングかと思います。(人は必ず呼吸しするから)
もし良ければ一度トライしてみてください😆
自分の反応を選択する方法
自分の人生は、自分の手で変えることが出来ます。
それが主体性を発揮する。と言うことです。
ではなぜ、人は自分の力で人生を変えれないかと言うと、刺激に対して反応をすぐにしてしまう。と言うところが問題となるのです。
例えば、怒られる(刺激)→落ち込む(反応)、と言った感じですね。
しかし人間には刺激と、反応の間には空白がありその空白で思考することで反応を変える力があります。そしてそれは選択の自由と呼ばれます。
その選択の自由を鍛える為には、どうすればいいのか、僕なりの答えはそれはマインドフルネスにありました。
このマインドフルネスは、自覚や想像、良心、意思を鍛えるトレーニングであり、反応そのものを変える働きがあります。
では、どのようなトレーニングがあるのか実際に見ていきましょう。
◯STOP法
これは
Stop 止まって
Take a breath 息を吸って
Observe 自分の息を観察して
Proceed 前の行動に戻る
頭文字を取り一度自分の思考をStopし、自覚を鍛えるトレーニングに繋がります。
今している行動を止まって観察すること、これは自動的に生きている事を、反応を抑制する事が可能です。
◯RAIN法
Recognation 認識して
Acceptance 受容して
Investigation 探索して
Non-identification 非同一化
まず自分の感情を認識します。(悲しみ?不安?混乱?)そして、その感情を受容してあげましょう。あ、今は悲しんでいるな。そして、呼吸や身体の反応を観察するのです。悲しみがあると肩が硬っているな。とか。
そしてこれが難しいですが、非同一化。
これは感情が前に進まぬように、体の反応に注意を向ける事だと理解しています。
こうする事で自分の感情をフラットに持っていく。また、幸福を感じている時は、非同一化をせず、自分の身体の探索をし、その気持ちの良い感覚を感じるよう努めます。
このようにして、自分の反応を選択していくのです。
◯慈悲の瞑想
これは、相手に思いやりを向けるトレーニング。想像と良心を鍛える事ができます。
相手を想像し、その相手に祈りの言葉を投げかけてあげるのです。「健康で、安定した人生になりますよう。」であったり、「あなたの苦労が報われますように。」であったり。そして、その後自分の身体の反応を観察するのです。
上記にあげたトレーニングは、ある意味時間が経たないと効果が出るわけではありません。
筋トレをしたからと言って1週間後にマッチョになっていませんよね?そんな感覚です。
しかし、この反応を選択するトレーニングは、日々積み重ねなければ鍛える事はできません。今まで刺激に対して反応的であった人は、特に。(僕も含む)
徐々にこうしたトレーニングを積む事でより、自分のありたい姿に一歩ずつ前進することが自分の人生に与えられたミッションをこなす事だと言うことを忘れてはいけません。
その為になぜ、自分の反応を選択するのか。と言うことを改めて理解して、行動に移さなければなりません。
そして忘れないために、自分で毎日ミッションステートメントを読み返す事が行動を、反応を選択するモチベーションになるのかを思い出す必要があります。初心忘れるべからずって事ですね。
ある意味僕は反応を変えるトレーニングをマインドフルネスにあげましたが、それ以外でも筋トレであったり、それ以外の行動も反応を変えることに一役買う事でしょう。そしてそれは個々人によって違うとは思います。
さて、今日はこのへんでおわり!
そして最後に。
自分の人生は自分で変える事ができる。
このことを忘れないで頂きたいです✊
インサイドアウト、自分が変わる事から始まる。
さてさて、7つの習慣では、インサイドアウトが重要だと死ぬほど書かれています。
ここでおさらいなのですがインサイドアウトとは、自分が変わる事で環境を変える。と言う考え方です。
人間は現在の状況を打開したいと考えると、自分の力で変えるのか、それとも環境を変えて変えるのか選択が与えられます。
7つの習慣では、自分を変えると環境も現在の状況も変えれますと説いています。
なぜかと言うと、人間は脳の知覚を介して世の中を見ているからです。
なので、もし人間自身が歪んだ知覚を持っていると、いくら環境や状況を変えても、いずれは同じ苦しみに繋がるからです。
そう!それはまさしく色のついた眼鏡で、世の中を見ると世界が色つきで世界を見てしまうから。
いくら青い空を見ても黒いグラサンをかけていると暗く見えてしまいます。
だからまずは自分の色眼鏡を自分の力で変えるしか、環境や、状況は変わらないのです。
さぁ、それではその色眼鏡を取り外すには、どうすればいいのか。
7つの習慣では解決法として抽象的に以下の事をあげています。
①ミッションステートを作成し、自分の人生のゴールを見出す。
第二領域、ミッションステートメントに沿った行動を優先する。
③①と②の行動を繰り返す。
これがインサイドアウトを高める方法です。
さて、ここで7つの習慣では解決法を抽象的に書いています。
そこは僕の解釈なのですが、具体的な解決法は読者に委ねているからと考えています。
世の中は、いろんな考え、バックグラウンド、環境の人がいるのでもちろんインサイドアウトする方法は、その人によって違います。
なので、その人に合ったインサイドアウトの方法を個人で考える事が重要です。
例えば僕の場合なのですが、ミッションステートメントの一文に
理解に徹する強い心を持つことにより相手のことを深く理解し、心に温かい空気を送る人となろう。そうして信頼される事を良きとし、生ける人となる。
という事を掲げています。
これを達成する為には、僕は強い心を持つ事が具体的な解決策です。
では、どのような行動が強い心を作るのか考えたときに、マインドフルネスを実践すると言う事があげられました。
これが僕にとっての具体策なのですね!
恐らく個々人でミッションステートメントは、違い、具体的な行動は違ってくるのでしょう。
そこは、個々人で見つけていくべき方法なのでしょう。
さて、あなたはどのようにインサイドアウトしますか??
少し考えてみるといいかもしれませんね😄
あなたは何に縛られている?お金?時間?恋人?
どうも久しぶりです!
國光です!
ブログ更新全くしてなかったのですが、Twitterの人々が輝かしくて勇気づけられ、また重い腰をあげ、ペン(スマホ)を握ったわけであります。
さてさて、今回は縛られている状態について考えてみたいと思います。
全く変な意味ではなく、何かに依存したり、その事を考えることに注力しすぎてしまったり、そう言う状態の事をいいます。決して亀甲縛りとかそんな状態ではないです。←
例えば僕の例を赤裸々に語るのであれば、僕は以前(今も時々あるが)、親に対して強い怒りや、恨みを持っていました。
自分の人生が上手くいかないのは、親のせいだ。不仲な親の背中を見て育ったせいで、ストレスを抱え、その激しい怒りを考えるだけで集中が出来ない。そのように他人が与えたダメージばかりに集中していました。
これは何かに心が捉えられ続けている、つまりは、束縛されている、状態にあると言えます。
あなたの恋人につい束縛していませんか?
あなたはお金に対して執着していませんか?
あなたは健康に対して敏感すぎやありませんか?
これを見てるとグサグサ心に刺さる人がいるかもしれませんが。安心してください。僕もその一人です。
こうした何かに心が束縛されている状態では、あなたは決して自由な人間にはなれないのです。
つまりは、もし恋人が束縛しなくても常に自分の事を見てくれている。
宝くじが当たりお金に対して余裕を持った。
超健康になった。
そうしたとしても心に執着というものが存在すれば、いずれはその心の平穏が崩される時が来ると、いとも容易く心の自由は奪われてしまうのです。
さて、それではどうすればこの終着、束縛、縛られている状態から脱却すればいいかと言うと、それは自分の考え方を変えなければならないのです。
この自分の考え方を変える事は非常に難しい事なのです。
しかもこの自分の考え方を変える方向を間違ってしまうととんでもないことになります。
それでは、どのように自分の考え方を変えればいいか。
それは正しい自分のあり方は何かを自分に問いただす事です。
なかなか難しい言葉になってしまいましたね笑
簡単に言い換えるなら道徳に従いましょうという事です。
例えば、恋人を束縛しているとしましょう。
さぁ、束縛っていい事ですか?
よくないことですよねぇ〜🙃
束縛すること、つまりは相手を自由にさせない事は、人を尊重し、信用し、自由を認めない行為なのではないでしょうか?
さぁ、ここで誰かは言うはずですよね。
「それは相手が信用出来ない人だから仕方ないもの〜、相手が信用させてくれるしっかり責任感のある人なら信用できるけれども。」と
果たしてそうでしょうか。
いくら信用させてくれる人でも自分自身が疑心暗鬼に陥ったら無意味ではないでしょうか。
真に、自由になりたいのであれば、人を信用し、尊重し自由を与える考え方にならないといけないのではないか。
そう自分を鍛え上げるしかないのではないでしょうか。
そうする為に並大抵な努力では手に入れる事はできません。日々の積み重ねが必要になります。
ここで、本当の自由は自分自身で手に入れるしかないと言う事を頭にいれておきましょう。
どんな事でも人から与えられる自由はありません。
それでは自分が真に自由になる為にはどうすればいいか。それは普段から自分の気持ちを、考え方を変える事ができる。と信じ、行動にするしかないのです。
そうした積み重ねを経るごとに自身が鍛え上げられ以前からの縛られた状態から脱却する事ができるのです。
あなたは、自分はそんな事できない…
自分はこう言う人間だから…
と諦めてはいませんか?
いや、僕も実はそう言う人間なのです。
自分はこう言う人間だからとちょくちょく逃げに回っています。
しかし、いずれはこの逃げは良くない事は自分でもわかっているのです。
諦めずに自分を鍛える事で人は変われる生き物なのです。それが人間です。
動物は、生きる為にプログラムされた事をプログラミング通り生きるしかない生き物です。
しかし人間は自分自身でプログラムを書き換え、自分を律し、行動できる地球で唯一の動物なのです。
さぁ、希望を持って共に前に進みましょう。
僕も不自由なその一人です。
しかし諦めず前へ進んでいる事は自分でもしっかりと理解できています。
そしてより自由な人生にしていきたい。
そう胸に抱き、生きています。
何かに縛られて生きてはいないでしょうか?
そんな苦しみから少しでも解放されるよう共に頑張りませんか?
ブログ再スタートという事でインサイドアウトから初めていきました。
2種類の自信
僕は自信には2種類の自信があると思っている。
一つは、何もないけど特に自信がある!
と言う状態。これはある意味ドーパミンが出て、自分の脳が奮起している状態だと思う。
もう一つが、積み重ね経験を積み過去の自分と対比させる事で起こる自信。
さて、この二つがあると思うが、前者は脆く、はかない自信だと思っている。
もし体調を崩し、ホルモンのバランスが崩れたらどうだろうか?
ドーパミンはうまく脳内から流れ出ず、その自信はすぐに薄れてしまうのではないだろうか?
しかし、積み重ね得た経験による自信は、少し体を壊したり、不調な時もそれは積み重ね、頭で感じる事のできる自信なのではないだろうか?
この二つは相反するものであるが、どちらの状態がいい。と対比するものでもないと思う。
要は、どちらも生活を送る上で必要なものであるのだ。
しかし、一方に頼り過ぎる事は危うい。
バランス良くこの両方を育てていかなければならない。何事にもバランスが必要となってくる。
もし、脳内のドーパミンが少ないと感じたのならば、生活習慣を改め、体を動かし、ホルモンが活発に溢れるように努めなければならない。
一方で積み重ねる事で得る自信を持つには、何か一つのことでもいいので、長期間継続する事を行わなければならない。
例えば長期にわたってブログを書いたり、好きな趣味をし続けたりなどである。毎日トイレ掃除もある意味自信を持つ為に効果的かもしれない…
昨今ではすぐにやる気が出たり、自信をつけたりするテクニックが主流になっているが、そうした小手先の付け焼き刃の自信はもろく、壊れやすい事を意識していなければならない。
しかし、長期にわたり続けること。
ある意味私の書いている継続は力なり!
のブログにおいて継続するには?
に焦点を合わせて考えてみよう。
まず継続する為には人生の終わりを想像しなければならない。
人生の終わり。とは。
死ぬ間際に自分がどのように称賛されたいか?を考えることである。
そしてどのように称賛されたいか。
これをゴールとし、行動を積み重ねる必要がある。そしたらあなたの弱点が見つかるはずだ。
「あ、こんな事をしていたら称賛されない😱」
さぁ客観的に自分を見つめて今の現状はどうだろうか???
僕自身、自分の達成度で言うと30%も満たないのでは??と感じています。
しかし、徐々にですがこの自信もつきつつあると思う今日この頃。
そして、この自信を可視化する便利なアイテムが影響の輪、関心の輪。
自分がどの程度影響を与えれる行動をしているのか?(影響の輪)
これとあなたが与えられたい称賛は?(関心の輪)をイメージ化し、影響の輪を大きくする行動を取らなければならない。
そうする事でより自信がつく。そしてその自信は大きく根を張り、少しの風では動かない頑丈な大きな木へと成長するのだ。
焦らなくともいい。
毎日水をやり、雑草を抜き、雨や風に耐え、そして大きな木へと成長していく。
何事にもこの不変の真理は変わりません。
これを農業の法則といいます。
さぁ、あなたも何か初めてみませんか?
まずはどのような称賛をされたいか。を考えることから始めてみてもいいかもしれません。
アウトプットする事で何が変わるか
どうも國光です!✋
Twitterのブログを始めてはや、1ヶ月半になります!
早いものですね!
さて、僕は7つの習慣をブログや、Twitter上でアウトプットする事で色々な事が変わりました。
以下きまとめたいと思います。
○アウトプットする事で、より自分の表現が見つかり、相手に伝わりやすくなった。
○より貪欲に挑戦意欲がわいた。
○相手にいい影響を与える事ができ始めた。
○以前よりマイナス思考が減った。
○技術が更新した。
○自信を持つ事ができた。
○より良い解決法の模索がしやすくなった
○不幸より多幸感を感じるようになった
まぁ思いつくことといえばザクッとこんな感じでしょうか??
この事は7つの習慣に限った事なんですが、そのほかにも、仕事、恋愛、人間関係、自分の人生の生き方。
そう言ったものも相乗的に増加しています💪
脳科学的にもアウトプットする事は、インプットするよりも多くの海馬帯を刺激し、認知能力の向上を促す事ができるみたいですね!
そしてアウトプットする事でより、論理的な思考も発達する事ができます💪
アウトプットする事は本当にオススメですね!
あと自分の忘備録にもなりますし笑笑
アウトプットのコツは日々自分がこなすべき課題としてほんとに5分だけでもいいので何かを続ける事が必要になってきます。
しかしその5分を1ヶ月続けるとどうでしょう?
1ヶ月で150分です。時間にすると2時間半です。
どうですか?
2時間半という時間は多いようにも少ないようにも思いますが、もしテスト前に2時間半勉強時間があるとどれだけ助かるか!!!
この少ない時間でも続けることに意義があり、そうしてアウトプットというアクセラレーターがあるからこそ、爆発的な進歩を遂げる事ができるのです(自論)
さぁさぁ、まずは行動!!
そしてアウトプット!!
試してみてはいかがでしょうか?😆
7つの習慣って宗教なの???
7つの習慣は、なんだか宗教ぽくて胡散臭い、新手の新興宗教かなにか??
と思われる方いらっしゃるかと思います。
なにせ怪しい雰囲気はしますね笑
僕も初めはただの自己啓発本かと思っていました。なんか7って数字がまた怪しさをそそるのは僕だけでしょうか?笑
まぁそれはさておき、宗教との関係は少なずともある。と言っていいでしょう。
著者であるコヴィー博士は、熱心なクリスチャンであったのでキリスト教の考え方は多少なりとも入っているのかな?というのが個人的な見解です。
しかし、宗教と違うのはそこに教義やルール、そう言った事がないというところでしょうか。
宗教であるなら、これはしたらダメー!とかお祈りの時間があったり、そうした戒律があるものです。
しかし、7つの習慣には、そうしたルールはありません。やる、やらないは自己判断に任されます。
そして自分自身で自分のルールや、戒律、教義を作る。人間の幸せとは?の根本にフォーカスしているのがこの7つの習慣にあたるわけです。
つまりは、宗教の根本にある人間の幸せとは?を理解し、そして自分自身でそのルールや戒律を作る手助けをしてくれるのがこの本になります。
まぁもっと簡単に言ってしまえば
自分で宗教を作ってやってみようよ!
がこの本になるわけですね笑
✳︎あくまで個人的見解
宗教と聞くと
「うげー!!!やばいやつや!!!」
「うさんくせえ!!!」
とアレルギー反応を起こす人もいるかもしれません笑
しかし宗教とまったくもって比なるもので
それは、第三者に無理やり勧められたり、行動を規制されたり、そう言った事はないというところです。
やるもやらないも自分次第。
しかし、読み、実践する人にはその世界の構成を教え、新たな化学反応の仕方を教えてくれる。
そう言ったものになります。
つまりは酸素という分子を学ぶのではなく、酸素の構成要素、原子を知り、新たな化学反応を作り出すのがこの7つの習慣になるわけです。
どちらかと言うと、僕は科学的な要素が多い本なのじゃないかな?と言うふうに思ってます。
宗教でいうところの教義にあたるのが
ミッションスタートメント
お祈りや、戒律にあたるのが
第3の習慣
第二領域に時間をかける
そこにあたると思います。
こうとも言いかえれますね!
宗教を科学的に分析した本が7つの習慣と言えるでしょう!
今回は7つの習慣的観点から宗教との比較してみました!